天然物ケミカルバイオロジー:分子標的と活性制御 - 文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」(平成23~27年)

ご挨拶


領域代表 東北大学大学院
理学研究科 上田 実

構造から活性へ

生物から得られる生物活性分子を天然物リガンドと呼びます。これは、生体に特異的な作用を及ぼすように進化した分子であり、生物機能を制御する鍵として働きます。我が国では伝統的に、天然物リガンド(天然有機化合物)に関する研究が盛んですが、ここ数十年は、複雑構造の決定と精密合成といった構造有機化学的な興味がその中心でした。しかしながら、天然物リガンド本来の面白さは、外部からの投与によって特異な生物応答を誘導し、究極の複雑系である生物に明確な摂動(生物応答または表現型)を引き起こす点にあります。この特徴ゆえに、天然物リガンドを用いた生物活性機構の解析は、生物の動的な機能を解析・制御するための優れた研究手法になりえます。本新学術領域研究は、天然物リガンド本来の魅力に立ち返り、成熟期を迎えたといって良い構造有機化学的基盤に、ケミカルバイオロジー、生化学、分子生物学、情報生物学を融合させた「天然物ケミカルバイオロジー」の確立を目指していきます。

天然物リガンドは、生体内で標的タンパク質と結合することが知られており、これは「鍵と鍵穴」の関係にたとえられます。しかし近年、天然物リガンドは、一つの標的タンパク質と結合する「鍵」というよりは、複数の標的タンパク質と結合する「鍵束」として働くことが分かってきました。天然物リガンドが示す生物活性は、複数の「鍵」がもたらす生物活性の総和であり、我々はその中のもっとも「目立つ」活性に注目していたに過ぎません。「鍵束」であるがゆえの生物活性の複雑さが、天然物リガンドを用いる基礎研究ならびに応用展開の大きな障害の一つとなっていました。一方で、「鍵束」の分解や「親鍵」の構造修飾によって、その標的選択性と活性強度は劇的に変化することも分かってきました。

本領域では、標的同定とリガンド複合体構造の解析によって、「鍵」構造を迅速に同定することで、「鍵束」を論理的に「分解」し、生物機能制御のためのツールとして利用するという新しい学理の確立を目指します*。「鍵束」の「分解」は、生体系における天然物リガンド動態**の単純化を実現し、また、「分解」によって得られた「鍵」は、これまで天然物リガンドの基礎ならびに応用研究を阻んできた生物活性の複雑さを克服するための強力なツールとなります。一方で、有機合成化学による「鍵」の構造改変は、自在な活性制御を可能にするでしょう。

本領域の基盤技術となるのは、近年大きく発展した日本発の標的同定テクノロジーです。本領域では、魅力的な天然物リガンドに最新の標的同定方法論を統合・進化させて適用すると同時に、革新的な新手法の開発にも取り組み、いかなる天然物リガンドにも適用可能な標的同定の「定法」を確立します。これによって、天然物リガンドの標的同定を容易とし、リガンド/標的複合体構造の解析から、目的とする活性のみを再現した「鍵構造アナログ」の論理的分子設計へと繋がります。この段階では、天然物リガンドの合成的供給ならびに自在な誘導体合成が不可欠であり、これまで我が国の合成化学者が磨き上げてきた天然物合成の実力が大きな力となるに違いありません。一方で、これらの一連の研究の出発点である魅力的な天然物リガンドの探索的供給も欠かせません。

複雑な生物活性を示す天然物リガンドは、分子標的との相互作用という観点から見ると、様々な標的と結合する鍵構造の集合体です。天然物リガンド(化学)から標的同定と機能(生物学)を通じて、鍵構造アナログの開発(化学)へと至る本領域は、化学から生物学への展開の成果をさらに化学に還元しうるケム・バイオ・ケミストリーとも言うべきスパイラル的な学問構造をもつものです。複雑構造を主体とする平板な研究テーマ設定から、勇気を持って一歩踏み出すことで、これまでとは違った視点を手に入れることができるでしょう。新しい視点からみたとき、これまでとは違った「構造的興味」が生まれ、それを基軸とした次の展開が始まることを期待しています。本学術領域研究を「構造から活性」への転換の契機とし、「天然物ケミカルバイオロジー」という新しい学理の確立を目指します。

*古典的な研究手法として頻用される構造活性相関は、膨大なトライアンドエラーに基づく偶然を期待した「鍵束」の「分解」と位置づけられています。

**複雑な生物活性(いわゆる「副作用」を含む)をもたらす複数の標的との結合や生物学的利用能(バイオアベイラビリティ)低下の原因となる非特異的結合などを指します。

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